胸をはって「君が代」を歌い、「日の丸」を掲げよう
本来の日本を取り戻すために

 「日の丸」・「君が代」の由来については巷間色々言われていますが、不幸な歴史との絡みもあって、判で押したようにステレオタイプな意見が多いようです。
 ハッキリ言って、みんな勉強不足です。乱暴な言い方ですが、平安時代の諸々の大半は奈良時代より前にあった倭国(弥生時代のイメージがマインド・コントロールされているが、実は大宰府を都とした九州王朝)のパクリ・改変なのです。
 信じられないと思いますが、現在ある長谷寺の本堂、薬師寺東塔、法隆寺、東大寺南大門、平等院鳳凰堂等は九州から移築されたものであり、『古今集』、『万葉集』も古く『源氏物語』に至っては定説より350年程前に書かれているのです。「君が代」は倭国王倭薈(学校で習う磐井の乱の首謀者)を讃える歌であり、「日の丸」は装飾古墳の壁画に描かれた日輪が由来です。その王は死後、阿弥陀如来と目された方なのです。ちなみに薬師寺の薬師如来は胸骨部に卍印が入れ墨されており、実は阿弥陀如来なのです。ことほど左様に、当時世界最先端の普遍的国家であった、すばらしい王朝の歴史が消されているのです。
 長い我が国の歴史の中では、悪いことも、良いことも色々あります。ついこの間の戦争での「君が代」・「日の丸」のイメージもその中の一つです。3.11後の日本が精神的目標とすべきは九州王朝なのです。心の中で「遠の朝延」(癖地の役所のイメージではなく、遠い昔の都の意)に思いをはせて「君が代」を歌い「日の丸」を掲げましょう。以上のことが理解できれば、「日の丸」・「君が代」を推進している人々の胸中は複雑なものになるでしょう。メロディーは今さら直す必要は無いと思いますが・・・・・・
 「日の丸・君が代」問題は倭国時代の長谷寺跡や宇治平等院の所在地が特定できたことと深く関係していることを理解していただけたら、こんなうれしいことはありません。「君が代」と古代イスラエルとを結びつける人もいるようなので、先の戦争にこだわり過ぎるのだけは程ほどにしたいものです。 English

繰り返しになりますが・・・・・・

 強制的に「君が代」を歌わされるのが不満な方、九州王朝、倭薈すなわち阿弥陀如来をイメージして歌えばよいのです。先の戦争のイメージなんか関係ありません。「清明上河図」に描かれる舟の中に、よく観察すると日の丸が掲げられているものがあるそうです。
 歴史を知らない為政者と国民が同床異夢、だから No Problem なのです。我々国民はそんじょそこらの国の連中とは格が違うのです。

渡辺しょうぞう